スタッフのご紹介
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NO.1の聞き上手を目指す
ストレッチ大好きマン
- 洞田 直哉 (ほらた なおや)
- 施術スタッフ
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出身地:千葉県浦安市
血液型:O型
趣味・特技:舞台、映画、アニメ、特撮鑑賞、カラオケ
資格:柔道整復師
- 地域のみなさまへこれからも「誰かを助けられる様な仕事をしたい」「1人1人の患者様との距離を縮め、力を入れて施術したい」という目標を目指します。同時に、来て頂いたすべての患者様に笑顔で帰っていただけるような、そんな素敵な院にしたいと思います。今後もよろしくお願い致します。
施術家になるまでの自分私が施術家を目指したきっかけは、同じく施術家である父親と昔お世話になった施術家先生方から受けた影響が大きいです。
私は彼らが小さい頃から仕事中は勿論の事、プライベートでも怪我をしている人を助けている背中を見て将来自分も同じ様に誰かを助けられる様な仕事をしたいと思っていました。
ですがこの時点では、父親と同じ施術家を目指そうとは思ってもみませんでした。
そんな私に大きな心境の変化が起きたのは中学3年生の時でした。
その当時中学校の体育祭で行う組体操の練習をしていた私は、倒立をしようとした際に誤って背中から落ちてしまい腰の骨を圧迫骨折してしまいました。
私にとって初めての大きな怪我だった事とその当時父親の仕事が忙しく帰りが遅かった為、周りに相談出来る人が居なかったのでとてつもない不安に襲われてしまい、痛みも本来のものより強く感じる程でした。
そんな時に友達のお母さんに紹介されたのが地元に昔からある整形外科でした。
その整形外科に勤めていた施術家の方々は、初めて来た私にとても親切に対応して下さり、今の状態であれば何をすれば症状が軽減するのか、何をすれば再発防止が出来るかなど私が知りたかった事を色々を教えて下さいました。
そして電気施術を受けている最中に見た他の患者様との会話をしている雰囲気がとても良く、どの患者様も笑顔でお帰りになっていたのを見て、小さい頃から探していた誰かを助けられる様な仕事はこれなんだと思い、施術家を目指そうと心に決めました。
そこから施術家になるにはどうしたら良いのかを調べ始め、その途中で父親の仕事が同じである事を知り、父親にアドバイスを貰いながら国家資格を取れる大学に進む為の勉強に力を入れ、大学に入ってからは国家資格を取る為の勉強と現場に出た際に使える知識を学ぶ事に力を入れた事で無事1発で国家資格を取る事に成功し、施術家になる事が出来ました。
新人・修行時代の自分施術家として整骨院で働く前に、外傷を診る為に整形外科で働いていました。
そこでは様々な症状の患者様に出会う事が出来、色々な施術法についても学ぶ事が出来ました。配属当初は事務作業を主に行っていましたが、その時先輩の先生に教えて頂いた「全ての基本は事務作業や雑務を行っていく事で学ぶ事が出来る、だからそれを適当にやってはいけない」という教えは今でも心に残っており、今も続けています。それからある程度期間が経ってからは固定具を作ったり手技を行ったりする様にもなりました。その際施術を終えた患者様から「ありがとう」といお言葉を頂けた時には施術家を目指した事は間違いではなかったと思いました。
ですが整形外科での仕事を続けていく内により1人1人の患者様との距離を縮め、力を入れて施術したいと思い一度整形外科を退職し今のこの整骨院に転職してきました。
初めは整形外科での仕事内容との違いに頭を悩ませる事も多く、特に矯正施術に関しては初めて経験する施術だった事もあり大分苦戦しました。
しかしその当時の先輩の先生が親身になって色々と教えて下さったお陰で次第にその違いや初めて行う施術にも慣れていき、「誰かを助けられる様な仕事をしたい」、「1人1人の患者様との距離を縮め、力を入れて施術したい」という自分の目標に向かって進めるようになっていきました。
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楽しい治療!
- 坪川 茉乃(つぼかわ まの)
- 施術スタッフ
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出身地:東京都北区
血液型:A型
趣味・特技:カフェ巡り、映画鑑賞
資格:鍼師、灸師
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地域のみなさまへ地域の多くの方に「来てよかった」「良くなった」と言ってもらえるような院だと思うので、お身体で悩んだ際にはお話だけでも足を運んで頂けたらと思います!ぜひお身体の悩みを私たちで治療させて下さい!
施術家になるまでの自分私は昔から腰痛に悩んでいました。高校生の時にぎっくり腰になり、歩けないくらい痛かった時に知り合いの鍼灸院で治療をしてもらいました。その時に鍼灸師という職業を初めて知りました。治療後もかなり症状が良くなったので鍼灸師の凄さに驚きました。そして、病院以外にも人を治す仕事があるんだなと思わせてくれました。将来の進路を決める際に、人と携わる仕事がしたいと考えた時に、人を治療して治す鍼灸師という選択肢が出来ました。鍼灸師といっても整骨院であったりトレーナー、美容系など幅広い世界なんだということも知りました。資格を持ってさえいれば色々な分野で活躍出来る、そこから鍼灸を学びたいと思うようになりました。小さい頃から注射は苦手でもちろん鍼も苦手でした。けれど治療してもらった方の技術がとても良く安心して治療をすることが出来ました。鍼1本で治せる技術力を私も欲しいなと頑張りの糧に出来ました。スポーツで全国を目指してる友達や、家族の疲労を私がいつか治せたらと凄いな、この仕事を目指してよかったと思えるような鍼灸師を目指しています。今は1本の鍼で家族の体を借りながら治療して根本改善出来ることを目標に頑張っています。
新人・修行時代の自分鍼灸師はかなり専門的で、苦手な科目もたくさんあり苦戦してきました。高校では文系だったため、理系科目の多い科目に諦めそうな時もありました。成績が落ち込んだ時もひたすら勉強をし、今までの学生生活で1番がつくほど常に机に向かっていました。夏休みや冬休みでも学校に行き仲間と教えあって挫けずにここまでやって来れました。大学の頃は周りの仲間と切磋琢磨しながら勉学に励み、新人の頃は同期と練習をしたり先輩に付き合ってもらい練習を繰り返しました。初めは技術力もなければ、ろくにマッサージも出来ませんでした。マッサージの際は指が痛くなり、型が付けば痛くなくなるよと色々な先生から教えて頂きました。友人や家族などにも手技の練習に付き合ってもらいデビュー出来ました。自費メニューも少しずつではありますが出来るようになりました。今1番の喜びは、患者様に「マッサージ気持ちよかったよ」「良くなった気がする」と言われる言葉です。嬉しい気持ちになれ頑張ろうと、より思えます。今は大学生の頃とは違い、常に学びの連続なので知識が増えてきているので嬉しいです。多くの人にやってもらえてよかったと思えるような技術力を付けて治療をしていきたいです。
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地域一番の整骨院になる
- 河森 一徹(かわもり かずあき)
- 施術スタッフ
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出身地:東京都世田谷区
血液型:A型
趣味・特技:読書、サスペンス視聴
資格:柔道整復師
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地域のみなさまへ私はまだまだ施術家の風上にもおけません。まだ先輩先生に怒られる姿を見せるかもしれません。でも私は努力を重ねて皆様のお悩みやお辛いところをしっかりとっていきます。そこに助けてくれと声があるその声を拾わないのは施術家失格です。地域の方は優しい人ばかりです。ティッシュ配りを外でした時も「兄ちゃん笑顔で配りなさい!笑顔で楽しくやればもらってくれるよ」とアドバイスをもらい実践したところもらっていただける患者様が増えました。この地の人々の情に熱いところが私達の支えになっております! その情に応えなければどんどんと離れていってしまいます。そんな悲劇を繰り返さないように努めてまいりますのでどうかよろしくお願いします。
施術家になるまでの自分自分は河森家の次男坊です。祖父が歯科技工士、父と従姉妹の叔父は歯科医師、兄は内科医、従姉妹の次女は看護師・保健師です。 小さい頃軽度の発達障害でした。小学生時代はいじめられましたが、高校時代には医療家系である身なので将来は医療系に進む事はあらかじめ決めていました。両親は医療系に進まなくても別にいいあなたの好きにしなさい。という考えです。自分はお年寄りが好きなのでお年寄りが悩んでいる腰痛や肩こりを治すんだという考えも頭の中にはありました。大学時代は勉強時間が足りなく国試浪人を経験しました。心を入れ替えてがむしゃらに勉強した結果、柔道整復師国家試験に合格しました。自分が医療系に目指そうという考えを強固にしたきっかけは母方の祖母の死でした。大腸ガンを発症した祖母は人工肛門の後遺症で腸閉塞を発症しました。腸閉塞を放置した結果危篤状態になり、兄が研修中の静岡の病院から秩父の病院へ駆けつけました。 その後祖母が息を引き取った後に秩父の病院にいる女医さんが聴診器を渡して「これで死亡確認をしなさい」と言われて死亡確認を行ったそうです。そのエピソードを聞いて医療系を志しました。自分には目指すべき背中があります。父の背中と兄の背中。父は治療をして薬を指示している背中と兄がヘルニアになりながらも机に向かい勉強している背中。そんな背中を小さい頃からずっと見て自分は育ってきました。そんな背中は自分にとって眩しく超えられない背中でもあると今も思っています。
新人・修行時代の自分国家試験に合格した後初めて社会に出ました。社会はどういうものだろう?という頭にハテナを浮かべながら社会に出ました。それが甘かったのです。このケイズグループに入社して一番思い出にあるのは池袋での研修でした。まだMAにも入れず。レセワンやCRMとは単語からして分からない事がいっぱいありました。7・7書いて14・14書いてと言われた事がいっぱいありました。それを分からず先輩に押しつけてしまう事がただありました。MAも臀筋周りの圧をかける事が出来ずてんやわんやした事もあります。チラシ配りは夏真っ盛りの時期に行き同期の人間と身体がバテバテになりながら行った覚えが目に浮かびます。ふじみ野に新店舗ができた時には10分間休憩して配った覚えがあります。会計業務しかできない自分は半端ない虚無感に襲われてました。ここに配属される時に患者様に声が小さいや圧が弱いと何度も怒られた事があります。先輩先生からは影が薄い人間だと後に聞かされた事がありました。周りが見えない。仕事が覚えられない。たくさん怒られ、トイレで泣いて、辞めようかと思いましたが院長先生に止められて情に熱い先輩先生に励まされてここまでやってこれました。今も続々と新入社員が入ってくるためその社員を見ていると自分の写鏡のようなものです。自分にはやっぱり大好きな患者様がいたため辞めるのを辞めました。